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日本万国博覧会(大阪万博・EXPO'70)

大阪万博は1970年3月15日から同年9月13日まで大阪府吹田市で開催された正式名称を「日本万国博覧会」という国際博覧会です。

当時の私は小学3年生で、両親や親戚に何度も連れられたり、親には内緒でこっそりと友だち同士で訪れた記憶があります。

とにかく会場内は人、人、人で溢れ返り、戦後の高度経済成長を成し遂げて一大経済大国となった日本という国の持つ凄まじい勢いが顕著に現れていました。

海外からも沢山の人々が訪れ、ちびっこ誠榮にとって、あんなに多くの外国人(特に欧米人)を目にしたことは初めてだったわけで、それはちょっとしたというか、いやいやかなりのカルチャーショックでした。

その頃に住んでいたのが、大阪市西成区という大阪でもとりわけディープなエリアで、白人や黒人に出会うことは皆無でしたから。

今は逆に大勢の外国人旅行客で賑わいを見せているようですけどねぇ。

まぁそれはさておき、日曜祝日には人気パビリオンに長蛇の列ができ、入場まで2時間3時間待ちという東京ディズニーリゾートやユニバーサル・スタジオ・ジャパン並みの盛況ぶり。

特に人気を博したパビリオンはアメリカ館・ソ連館・日本館などで、アメリカ館の目玉は『アポロ計画』によって持ち帰られた「月の石」でした。

長時間並んで目にした素直な感想はというと、あまりよく見えなかったのもあって、「なんか普通やなあ。」「ほんまに月の石かなあ。」と子どものくせに、ものすごくひねくれていたちびっこ誠榮。

まぁ『アポロ計画』自体捏造されたもので、人類は実際に月には着陸していない説もいまだに根強くありますが(苦笑)

また、子ども心を一番ワクワクさせてくれたのが、50年後の未来世界をテーマにした三菱未来館だったように思います。

それもそのはず、「特撮の神様」あの円谷英二氏が特撮監督を引き受けていたんですね。

そして、忘れてはならないのが芸術家の岡本太郎氏がデザインした太陽の塔ですが、圧倒的な巨大さや3つの顔など、当時の私は何か得体の知れない不気味さを感じたものでした。

パビリオンやタワーなどは閉会後に解体されたり、移設されたりしたなか、今でも千里丘陵に現存する唯一のモニュメントということになるのでしょうか。

1970年「人類の進歩と調和」というテーマに、子どもからお年寄りまで胸躍らせた大阪万博。

2025年のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」で、人工知能(AI)や仮想現実(VR)などの最先端技術を大いに活用した未来像に、今の子どもたちも同じように胸躍らせることでしょうね。

現在、1970年に行われた大阪万博の開催地跡である万博記念公園に程近い千里丘にたまたま住んでいますが、2025年の大阪・関西万博開催は夢洲周辺の地域活性化に寄与することは間違いないところですし、必ずや大阪・関西・日本の経済成長の起爆剤になることでしょう。

日本万国博覧会(大阪万博・EXPO70)


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Posted by seiei at 23:37 │誠翔園ブログ大阪万博